言葉を読み解き、世界を読み解くゲーム『Chants of Sennaar』がおもしろすぎてブログを始めた

突然あまりにもハマったゲームがあり、とにかくその良さを語りたくて夜な夜なTwitterに書き連ねていたのだが、とうとうそれにも収まらず長文を書き始めてしまった。この素晴らしいゲーム、『Chants of Sennaar』について紹介させてくれ。まずは、このゲームを教えてくれた(Twitterで言及されていた)岩澤美翠先生に改めて感謝を申し上げます。

 

前半は未プレイの人にオススメしたいポイント、後半はゲームクリア後に考えた事をまとめたネタバレを含む内容となっている。

 

  • やる事はシンプル
  • 素晴らしいグラフィック、素晴らしい音楽
  • 言葉を学ぶ、という事から受け取るもの
  • 「属性」が意味するもの
  • (余談)画面が遠景すぎてたまにプレイヤーを見失うくらい小さくなるゲームはおもろいの法則

 

やる事はシンプル

まずは大まかな雰囲気を掴むため、このトレイラーをご覧頂きたい。

 このゲームでプレイヤーがやる事そのものは至ってシンプルである。「身振りや状況から言葉の意味を推測し、仮説を立てる」という事だけ。

 例えばこのシーンでは、相手が自分に向かってお辞儀のような仕草をする。フキダシに出ているのが彼らの言語である。言葉の意味そのものは分からないが、文字は一文字、発音も短く、おそらくシンプルな内容と推測される。例えば「こんにちは」という挨拶のようなものなのでは…?というように。

 

運河のようなものの対岸にいる人がこちらに向かってお辞儀している。フキダシに謎の文字が1文字。

 

 また、このゲームにはメモ機能があり、新しい言葉に出会うたび、ノートに呪文のような未解読の文字が増えていく。そこに先ほど立てた仮説の意味を書き込んでいく事で、解読不能な文字列が、一部分ずつではあるが意味を持つ組み合わせに見えてくるのだ。ゲームを進めるうち、使用シーンの重なりや別の使用例を見つけて選択肢が絞られていく事で、ついには正しい意味を理解する瞬間が訪れる。この快感はそのまま、子供の頃に新しい漢字が初めて読めた時のような、あるいは見知らぬ外国語や記号の意味を知り当てた時のような爽快感に近いものなのではないか。

 

ノートに人のスケッチがある。左ページ上:隠れる人、探す人 左ページ下:誰かが誰かを見つけて指差すような仕草 右ページ:逃げるようなポーズ。ノートの右横には未知の言語のキーボードのようなものが表示され、スケッチが指すとの意味を照合させる事ができる

 

 つまりこれはある種の「語学習得」に近い体験だと思うのだが、この、未知の言語を知る→見える情報の量が変わる→できる事が増える、という事が後述するゲームの目的および根幹そのものに繋がっていくのである…。

 補足になるが、私は幼少期にアクションゲームにほとんど触れてこなかったために、ゲームにおける運動神経・動体視力というものが皆無に等しい。(スマブラで自分のキャラクターをすぐに見失い、思うように身体が動かせないままいつの間にか倒れている事に気付くレベル)しかし、本作ではそのようなアクション技術がほぼ求められない。一部、なんというか緊張感のあるシーンはあるのだが、上記のような私でもクリアできたので安心してほしい。

 

素晴らしいグラフィック、素晴らしい音楽

 トレイラーやスクショから見てもお分かりだと思うが、建物の構造や装飾、植物たち、人々のデザインやビビッドな配色が本当に素晴らしい。だんだんと広くなっていくマップに方向音痴である私は迷い込む事も多かったが、歩き回るほど身につく土地勘のようなものが後々効いてきたりもするので悪くない。ぜひマップの端から端までくまなく歩き回ってほしい。(かわいいネコちゃんもいるよ)

 

大きな黄色い建物の脇に伸びた、テラスのような場所にいる主人公と子供。背景にはオレンジ色の砂漠と、雲が浮かぶ青空が広がる。かなり高い位置にありそうに見えるが、建物はさらに上に続いている。

トルコやロシアを思わせる宮殿のような場所。いたるところに黄色い水の小川が流れ、縦横無尽に階段が伸びる複雑な立地。各所に大きな木やサボテンが植えられ、優雅な雰囲気。

また、Thomas Brunetさんによるサウンドトラックも素晴らしいので聴いてみてほしい。

thomasbrunet.fr

 

iTunesSpotifyで聴くことができる。オーケストラや、アラビア楽器、ホーミーのような声、電子音が混ざり合った独特の耳触りでありつつも、ゲームプレイを盛り上げ、演出する素晴らしい音楽たちである。

 

 さて、未プレイかつネタバレを避けたい方にはここまでとなる。

どうかぜひこのゲームを触ってみてほしい。幸いな事に、本作はNintendo、Play Station、Steamで配信されているので、何かしらのデバイスで遊ぶ事ができるはずだ。(無料の体験版もあるよ!)

ちなみに、どうなっているのか不明なのだが、このビジュアルの割にデータもかなり軽くなっているのか、我が家の間に合わせwindowsでもフリーズやバグもなくスムーズに操作できた事をお伝えしておく。

Chants of Sennaar ダウンロード版 | My Nintendo Store(マイニンテンドーストア)

https://store.playstation.com/ja-jp/concept/10007905/

Chants of Sennaar on Steam

 

そしてここから先はゲームのネタバレを含むため、ゲームをクリアしてから読む事をおすすめする。

 

 

言葉を学ぶ、という事から受け取るもの

 ゲームを進めていくにつれ、複数の民族(集合体)の言語を操るようになってくると、その言語を扱う民族の価値観や社会構造が垣間見えてくることになるだろう。

 

 例えば、兵士たちの言語で「悪魔」と呼ばれる対象の正体が、それまで関わってきた「教徒たち」を指すことに気付いた時。あるいは、優雅に暮らしている吟遊民たちの生活を支える「愚か者」と呼ばれている人たちが、どこでどういう暮らしを送っているのかを見た時。だんだん、このゲームが「バベルの塔」をモチーフにしている、という事の意味が分かってくる…。

 

 フロアを色々と歩き回るうち、道の途中途中である装置を発見する。それはプレイヤーを別のフロアに移動させる転送装置でもあり、翻訳機の機能も持つ。この翻訳機能が重要で、いくつかの装置には兵士と吟遊民、教徒と科学者など、他民族との通信が行えるようになっているのだが、お互いの話す言語が分からず、意思疎通が出来ないでいるのだ。そこに2言語を理解したプレイヤーがお互いの言葉を翻訳してやると、双方に対話と理解が生まれ、多民族同士の交流が始まる。この「翻訳」こそがプレイヤー、この主人公が生まれた目的そのものなのである。

 

 私はこの「翻訳」が楽しくて楽しくて、まだ語彙が集まり切らないうちから何にも最優先でここだけ進めた結果、先に実績を解除してしまって見られたはずのイベントを見逃してしまったので、皆さまにおかれてはご注意願いたい。

 

装置の画面に二人の服装の違う人が映っている。片方が何かを伝えようとしているが、もう片方は言葉が分からず首を傾げている。

 

 ゲームの中の人々は、言語が分断され、居住エリアも分断され、他民族同士はお互いを脅威として拒絶し合う。しかし、これは…ゲームの中だけで起こっている訳ではないという事にはもうお気付きだろう。まさに今も、より複雑で、より悲惨な拒絶と争いがいくつも起こっている。(他民族間だけでもなく、同じ民族内でも異なる価値観の集合体にも当てはまる)もちろんこれらの問題はゲームのように簡単に解決できはしないだろう。しかし、複数の言語や対話を通して、何を大事にしているのか、何を必要としているのか、を知ろうとする事は無駄にはならないはずだ、というメッセージを受け取れはしないだろうか。

 

 また、このゲームは現在「日本語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、韓国語、ロシア語、中国語 (簡体字)、ポルトガル語、中国語 (繁体字)、英語」で翻訳・ローカライズされている。比較的シンプルなゲームかつテキストベースだからこそ可能な事なのかもしれないが、多くの言語に翻訳されるという事そのものがこのゲームの伝えたい事に繋がっていると思うので、さらに多くの言語にも翻訳される事を期待したい。(少なくとも、題材や美術面で明らかに参考としているアラビア語圏はカバーされて欲しい)日本語翻訳はホンダイオリさん、ニイタニユミさんが手がけられている。(エンドクレジットより確認)このゲームを日本に届けてくださり、本当にありがとうございます。

 

「属性」が意味するもの

改めて整理すると、この塔は大きく5層のフロアに区切られている。

 

(5F) 孤独の民たち

(4F) 科学者たち

(3.5F?) 銅の発掘場:モンスター

(3F) 吟遊民たち

(2F) 兵士たち

(1F) 教徒たち

 

 孤独の民たちは頭をそのまますっぽりと電子機器のようなものに突っ込み、戦争じみたシューティングゲームや刺激の強い映像に夢中になってしまうか、「この塔が崩れようがどうでもいいっすよ…」と完全に無気力になってしまっているかだ。これは言わずもがな現代人の皮肉な象徴化だと思われる。

 

 では、吟遊民のフロアと科学者のフロアの間にある、採掘場のような場所にいたモンスターはどうなったのだろう…。彼(ら)は日の光に当たる事ができず、人を見つけると襲いかかるようになってしまった。ある実績を解除すると、科学者の研究室に捕獲され、どうやら人間に戻す(?)特効薬を開発しようとしている様子が見られるのだが、つまり元は人だった、という事なのだろうか…。これまでの民族が人間たちの何らかの象徴的存在だったとするならば、彼(ら)だけをファンタジーな存在として「モンスター」で片付けてしまっていいのか、という疑問が残るのである。

 

 さらに、実はプレイヤー、つまり我々が操っていた主人公の正体もなかなか謎の存在だ。孤独の民たちを洗脳していた悪い顔のホログラムが操るロボット(?)と主人公の姿が、実はとてもよく似ている事に気付いただろうか。

 

紫色を基調とした「孤独の民」のフロア。拘束から解放された主人公が、停止したロボットと静かに静かに対峙している。主人公はえんじ色のフードを被ったマント姿。両腕は出ており、緑色の腕輪、あるいは刺青がある。ロボットはえんじ色で前が平面、後ろが曲面のかまぼこのような形だが、シルエットが人型にも見える。

 

 孤独の民の一人が「この塔は我々が作った」「君は私が作った”鍵”なんだ」と言及している事を考えると、民たちが分かりあわない事に絶望した”創造主”が、あの悪い顔のプログラム(思想)を植え付けたのだとしたら…?

 

(余談)画面が遠景すぎてたまにプレイヤーが見失うくらい小さくなるゲームはおもろいの法則

 これは極端な持論なのだが、本作『Chants of Sennaar』に並ぶ名作ゲームとして我が家の棚に並ぶのが『Mutazione』そして『ぼくのなつやすみ』シリーズである。

 

 アクションゲームではキャラクターの少し後ろから着いてくるようなカメラワークで、視点とともに視界も動く、現実の自分たちに近い視点設定が多いように思う。この方法ではより臨場感があり、操作する自分とキャラクターを身体的にも精神的にも一体化させるような効果があると思う。対して上記のようなゲームはかなり遠い位置から、遠景で撮影するようなカメラワークで、ある程度固定された視点(監視カメラのような)である事が、主人公に感情移入しすぎない、より客観的なスタンスでプレイする姿勢に繋がっていると思う。

 

こちら↓が『Mutazione』のプレイ画面。画面中央ほどに立っている白いTシャツの少女がプレイヤーである。こちらも本当に素晴らしく、人生最長のプレイ時間を誇っているゲームなので、いつかこうして檄語りする日が来るかもしれない…。

※『ぼくのなつやすみ』シリーズは適切な画像が見つからなかった…のでご存知ない方は検索してみてください

大木の枝の上に、白いTシャツにハーフパンツの褐色の肌の少女が立っている。周囲にブルーベリーのような姿の不思議な生き物たちもわらわらといる。

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